Japan & Nepal

日本とネパールの関係

2026年9月1日、両国は外交関係の樹立から70年を迎えます。ここまでの歩みを振り返ります。

70th Anniversary

2026年、国交樹立から70年

日本とネパールは、1956年9月1日、外交関係の樹立に関する書簡を交換しました。2026年9月1日で、ちょうど70年になります。外務省はこの節目にあわせて記念事業を進めており、記念ロゴマークの公募も行われました。

70年という年月のあいだに、両国のあいだを行き交うものは大きく変わりました。最初は山でした。次に援助が続き、いまは人です。

1956

はじまりは、一つの山だった

1956年5月9日、ネパール中部にそびえる標高8,163メートルの山、マナスル。日本山岳会の隊員・今西壽雄と、シェルパのギャルツェン・ノルブが、世界で初めてその頂に立ちました。

日本にとって初の8,000メートル峰登頂でした。戦後の復興のさなかにあった日本社会にとって、この報せは大きな出来事となり、登山ブームが起こるほどの反響を呼びました。

そして注目すべきは、このマナスル初登頂が、日本とネパールの国交が結ばれるきっかけとなったことです。登頂から約4か月後の同年9月1日、両国は外交関係を樹立しています。

私たちが大切だと思うのは、この最初の一歩が、日本人だけの成果ではなかったという点です。頂上に立ったのは、日本人の登山家とネパール人のシェルパでした。どちらが欠けても登頂はありませんでした。両国の関係は、その最初から、共同作業として始まっているのです。

今西壽雄はその後もネパールとの親善に力を注ぎ、大阪万博でのネパール館の建設に関わり、駐日ネパール大阪名誉総領事も務めました。本人はこれを「ヒマラヤの恩返し」と呼んだと伝えられています。

History

70年の歩み

1956

マナスル初登頂と、外交関係の樹立

5月9日、日本山岳会隊がマナスル初登頂。9月1日、日本とネパールが外交関係の樹立に関する書簡を交換。

登山

山を介した交流の時代

ヒマラヤは日本の登山家にとって特別な場所であり続けました。遠征のたびにシェルパやポーターとの関係が生まれ、それが村への支援や学校の建設につながった例も少なくありません。個人と個人の関係から始まった交流が、この時代の土台になりました。

協力

経済協力とインフラ

日本はネパールに対する主要な援助国のひとつとして、道路、橋梁、上水道、病院、学校といった生活基盤の整備に長く関わってきました。カトマンズで暮らしていると、日章旗の記されたプレートを見かける機会があります。

2015

ネパール地震と、日本からの支援

大地震により多くの人命と歴史的建造物が失われました。日本からは緊急援助隊が派遣され、その後の復興にも協力が続けられています。世界遺産の修復にも日本の技術が関わっています。

現在

人の往来の時代へ

在留ネパール人は30万人を超え、国籍別で5番目となりました(2025年末時点)。留学、就労、家族滞在。日本の各地でネパールの人々が暮らし、働いています。関係の主役は、山から人へ移りました。

2026

国交樹立70周年

9月1日に70周年。記念事業が予定されており、日本山岳会は「マナスル・サミット2026」の開催を発表しています。

The Next 70 Years

これからの関係を、どう築くか

いま両国を結んでいる最大のものは、人の往来です。そしてこの領域は、関係を良くすることも、悪くすることもできる領域です。

過大な借金を背負って来日する人がいれば、それは送り出す側の問題として両国のあいだに残ります。聞いていた条件と違う職場に配属されれば、それは受け入れる側の問題として残ります。個々の事例は小さくとも、積み重なれば「日本で働くのはやめたほうがいい」「ネパール人は続かない」という語りが、双方の社会に定着します。

逆もまた同じです。適切な費用で、正しい説明を受けて来日し、納得して働いた人は、帰国後にそう語ります。受け入れて良かったと思った企業は、次も同じ国から採ろうとします。70年かけて築かれてきた信頼は、いま現場で起きている一つひとつの出来事によって、更新され続けているということです。

私たちが送り出し機関としてやるべきことは、この点に尽きると考えています。目の前の一人を、適正な条件で、十分な準備をして送り出す。それが結果的に、両国の関係を損なわない唯一の方法です。私たちが目指していることにも記していますが、互恵的な関係でなければ、長くは続きません。

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